太平洋戦争で大きな被害を受けた沖縄

太平洋戦争での悲惨な歴史

太平洋戦争で多くの犠牲者を出した場所と聞いてどこを思い浮かべますか?沖縄県では住民の4人に1人が犠牲になり、自然豊かな沖縄の町や畑は焼き払われ今でも銃弾の跡が残る場所もあります。太平洋戦争末期の1945年日本本土への米軍の上陸をなるべく遅くするために沖縄県は日本軍、民間人関係無く戦火の中に放り込まれました。海上からの艦砲射撃や上陸した米軍による機銃清掃で多くの民間人が命を落としました。ソ連の連合国参戦の知らせを受けた後、原爆が投下され終戦を迎えるまで沖縄では集団自決もあり、いたるところに遺体がある異様な光景が広がっていました。沖縄県では戦後も米軍統治下に置かれ、孤児や家族を失った人々で苦しい生活を余儀なくされました。

沖縄県の平和にまつわる観光地

このような悲しい歴史を繰り返さないように沖縄県には戦争にまつわる観光地がいくつもあります。慰霊碑も多く、戦争中の品々を展示する資料館では戦時中の遺品や野戦病院に残された医療品をはじめ、当時の生々しい様子が想像できるような講話も聞くことができます。市内を走る観光バスでも戦争中の悲しい歴史を聞かせてくれるガイドさんもおり、一家全滅の跡地や爆撃の跡地をバスで通るなど広く歴史を知ってもらうように取り組んでいる様子が伺えます。

今では沖縄県は穏やかで人も優しく美しい島ですが、ほんの70数年前には繰り返してはならない悲劇の起きた場所であることを観光地を訪れながら平和について一度考えてみるのも良いのでは無いでしょうか?

鹿児島最南端の島・与論島の旅行は、年間約15万人の観光客が訪れる人気の場所です。料理は沖縄料理に近いです。